メル友
恋に落ちるなんて簡単だ。
私がそれを知ったのは16歳の冬だった。

今にも白いものがちらついてきそうな曇り空、空気中の水分はきっと凍っているだろう、それほど寒い日のことだ。
<無理なご乗車はご遠慮くださぁい>
無情にも電車のドアは目の前で締まり、哀れ次の電車まで、20分も寒さ身に染むホームで待つことになってしまった私は、自分の後ろからゆっくりとホームに現れた「奴」を思わず睨み付けていた。
奴は、電車がホームに滑り込んでくる音に、息せき切って階段を昇る私の前に立ちはだかった。勿論、あちらにその気はないだろう。ただ自分のペースで階段を昇っていただけであり、それが私のコースとニアミスを起こしただけである。私が奴を恨むのは逆恨みだ。そんなことはわかっている。朝、家を出る間際に成績のことで母とやりあったのがまだ残っていたのも原因だろう。その日の私は虫の居所が悪かった。
奴は3〜4メートルばかり離れたところに、やはり私と同じように、線路に向かって立った。寒さで色づいた息が規則正しく漏れては流れる。ハァハァと忙しない自分の吐息と比べ、それさえ苛立ちの原因となる。
とは言え、それに文句をつけるわけにもいかず、むっつりと黙りこくり(当たり前だ)、たった二人しかいないホームで次の電車を待っていた。
すると5分も経ったころだろうか? ふいに機械的な音が聞えた。どうやら奴の携帯に、メールが届いた音らしい。返信したのだろう、なにやら操作している。
そのときになって、初めて私は気がついた。へぇ...きれいな顔してるんじゃん・・・
基本的に、顔のいい男は嫌いだ。それだけでチヤホヤされるから、たいていろくな奴じゃない。ただでさえ奴に悪感情を抱いている私はたまっていた鬱憤を爆発させてしまった。
「彼女から? いいわね、熱くって」
私にしてみれば皮肉たっぷりのその言葉に、きょとんと奴は私を見た。ちょっと困ったような顔をしたが、他に誰もいないことはあちらも承知しているはずである。
「こっちは誰かのせいで、この寒い中電車を待ってるって言うのに・・・」
手袋をした手に息を吹きかけながら、さらに言い募ってみる。とは言え、本来奴のせいではないことはわかっているので、言葉に勢いがない。我ながら、なに言ってるんだ、と呆れながら、それでも口にしてしまうのは情けない限りだ。ちょっとばかり気まずくなって、今さらなのだが、奴から視線をそらし、一人言を装ってみたが、意味はないだろう。
向こうは逆恨みに付き合う気もないらしく、場所を移動した気配がある。すると小銭が鳴る音がして、ガチャンと自販機から商品が出てくる音がする、それも2回続けてだ。誰か来たの? 不審に思った私がそちらを見ると、例の奴が、こちらに戻ってくる。差し出されたのは、熱い缶コーヒーだった。
「私に?」
って、他には誰もいない。
受け取るのを戸惑っていると、さあ、と言うように、さらに缶を差し出してくる。おずおずと受け取るとほっとした顔をした。そして自分の缶を開け、飲み始める。
持ったままでいるのもマヌケだなと思い、私もプルトップを引いて、コーヒーを口にした。甘く、いい香りの飲料は、咽喉から体に染み込むようだ。
それから二人とも黙ってコーヒーを飲んでいた。そして飲み終わるころ、ホームに滑り込んできた電車に乗り込み、奴は2つ先の駅で降りた。
コーヒーの礼を言っていないことに気がついたのは奴が降車駅のホームに降りたときだった。慌てて乗降口に行くとホームを歩いていた奴が振り返った。
「ありがとう」
私の声に、奴が嬉しそうに笑った。その顔をみたとき、心臓がドキリと音を立てた。あんな嬉しそうな笑顔って、初めて見たと思ったのだ。その途端に閉まったドア、動き出した電車のガラス越しに見えた奴は私に向かって軽く手を振っていた。
それだけだ。たったそれだけで、私は恋に落ちていた。

今考えると不思議だ。知らない人に自分から、しかも、あんな皮肉を言うなんて、信じられない。気の強さは自負しているが、それにしたって、あんな不躾、普通だったら言うはずもない。恋はタイミング? そんな言葉が聞えてきそうだ。
どうやら私が駅の階段で奴を追い越すのはその日が初めてだったわけではないらしい。
階段を駆け上る私、私に追い抜かされる彼、今まで気がつかなかった存在を意識し始めるようになっていた。毎朝私は気がつかない振りで奴の横を通り抜ける。擦れ違う直前まで、奴の背中を眺めながら・・・  それが密かな楽しみになっていった。
しかし、そんなことで満たされるはずもなく、ある朝私は擦れ違いざまに、「おはよう」と声を掛けた。一瞬驚いた奴の顔は、次にはまたあの嬉しそうな笑顔になった。
「私、なつみ、菜摘っていうの」
ほかに人のいないことをいいことに、そう叫ぶと階段を昇りきり、私はドアが閉まる寸前の電車に飛び乗った。動き出した電車から見えたのは、やっと階段の端から見え始めた奴の頭だけだった。
それからというもの、私が階段に差し掛かると、けたたましい足音でわかるのだろう、奴は立ち止まって振り向き、私のために道をあける。そして擦れ違いざまに「おはよう」と声をかけると、あの嬉しそうな笑顔を見せてくれるようになった。階段を昇りきったところで、私はいったん振りかける。そして立ったまま私を眺めていた奴に手を振るのだ。手を振り返してくれるのが嬉しくて・・・
それを恋と呼ばなくてなんと呼ぶ? 初めての恋に私は夢中になっていた。日がな一日(?)授業中でさえも奴のことを考えていた。
たぶん歳は同じくらい、大学生って感じじゃなかった。ひょっとして高1? 年下も悪くないかな? なんて、夢見心地で時を過ごした。それと同時にそんな物思いは現実も思い出させてくれる。
そう言えば、名前は? 教えてもらってない・・・
私は何も、奴の笑顔だけで、見た目だけで好きになったわけじゃない。奴は私といたあの20分の間、何も話さなかった。緊張した面持ちで黙っていただけだ。
これがぺらぺらと平気で喋るそこら辺の男なら、たぶん好きにならなかっただろう。同じ笑顔を見たとしても、心を奪われなかったに違いない。寡黙な人が見せた笑顔の雄弁さ、きっとそこに惹かれたのだ。
ところが、好きになればなるほど、その人と語り合いたい、つまり、その人を知りたくなり、自分を知ってもらいたくなるものらしい。けれど私たちの逢瀬は限られている。朝、階段で擦れ違うだけである。
それに・・・
初めて会った朝のことを私は思い出していた。
誰かが奴にメールしていた。誰かからはわからない。だけど私は「彼女から」とあの時決め付け、奴はそれを否定しなかった。
否定するのがばかばかしいと思ったのかもしれない。だけど、否定する要素もなかったのかもしれない。
「彼女、いるの?」一言そう聞けば済むことだけど、「いるよ」と答えられたとき、私はどんな顔をするだろう? くしゃくしゃになった私の顔を見て、奴はすべてを察して私を避けるようになるかもしれない。
ここまで考えて、私は初めて、自分が片思いなんだと気がついた。恋をしてるなんて、いい気になって、実は何のことはない、中途半端な片恋なんだ・・・・ まるで天国から地獄に突き落とされたような気分のまま、私はメモ用紙を取り出すとメールアドレスと携帯の番号を書いた。明日、これを奴に渡そう。メールか電話がくれば、少なくとも友達になれる。どっちもこなければ、きっと奴には恋人がいるのだと思えばいい。奴と知り合って以来、初めて眠れぬ夜をその日、過ごした。

いつものように、改札を走り抜け、階段に向かう。今日は階段の上り口で奴は振り返った。優しい視線を向けてくれている。だけど私の顔は必死の形相だっただろう。不思議そうに奴がホームを見上げる。まだ電車は来ない。そこまで必死にならなくってもいいのにと、言いたそうだ。擦れ違いざまに、奴が笑顔を見せた。私は無言のまま、奴の手に紙切れを押し込んだ。
「おはよう」なんて言葉、忘れていたのだ。そのまま、階段を駆け上る。昇りきって見おろすと、奴がメモから顔をあげたところだった。奴と視線があう前に私は電車に飛び込んだ。怖かったのだ。もし、困った顔をしていたら、その場で泣き出してしまいそうだった。
電車にゆられながら、やっぱり私はやつのことを思っていた。今ごろ困り果てているんじゃないか? それとも、私の思いに気がついて、笑っているんじゃないか、とか・・・ メモをゴミ箱に捨てられてしまったら? どういうわけか、悪い方向ばかりに考えてしまう。こんなの私らしくない、と、思い直そうと思っているとき、携帯にメールが入った。マナーモードにするのを忘れていた私は慌てて携帯を取り出すと、モードを切り替え、それからメールをチェックした。
差出人は<シュウ>となっている。タイトルは<初めまして>・・・
奴から? それとも奴が捨てたメモを見た誰か? 
震える手で、メールを開いた。
<いつも笑顔をありがとう。ナツミさんのお陰でステキな気持ちで一日を始められます>
人前だと言うのに、ポロポロと涙がこぼれていた。

私とシュウはそれから日に何度もメールをやり取りするようになった。
やっぱりシュウも高校生であるということ、しかも同じ2年生だということ、毎朝自分を追い抜かす、元気な女の子(私だ)のことを前から知っていたということ、古代文明に憧れていて、大学では考古学を勉強したいと思っていること、クラシカルな音楽が好きで、部活は吹奏楽をしていること、繰り返されるメールで、どんどん私は彼のことを知っていった。恐る恐る聞いた彼女の存在はあっさりと否定され、<そんな奇特な人はいないよ>というメールに<「奇特」って何?>と返信したら丁寧な説明のメールがきて、その真面目さにますます私は好感を募らせていった。
相変わらず、朝は「おはよう」と駆け抜ける私に、笑顔で答えてくれるシュウ、次の駅が近付くころにその日1番のメールが届く。もちろんシュウからだ。そしてその日最後のメールもシュウ。<オヤスミ、また明日>
私の生活はシュウを中心にまわっていた。
そんなある日、シュウからのメールが急に途絶えた。朝、いつもどおりに階段で擦れ違った私は、電車の中で、今か今かとシュウからのメールを待っていた。それなのに、降りる駅についてもメールがこない。
そう言えばいつもシュウからだったと思い出し、たまにはこちらからメールしなくちゃ失礼かな、と思い直し、駅から学校に向かう途中で、メールを送った。返事はこない。もう学校について、メールできない状態なのかもしれないと思っているうちに授業が始まる。
ところが、いつもなら来るはずの昼休みになってもメールはこない。とうとう私は帰宅すると、<どうしてメール、くれないの?>、シュウを責めるメールを送っていた。
その日、シュウからのメールが届いたのはもうそろそろ寝ないと明日に差し支える、そんな時間になってからだった。
シュウからのメールは、いつもどおり、<おはよう>に始まって、<授業、つまんないよ>とか、昼間、私が出したメールへの返信だったりだ。何通もまとめてきたメールの最後のほうに<メールしてるよ? 遅れてるのかな?>とあった。私が帰宅直後に出したメールへの返信らしい。そのあとも<まだメール、とどかないか?>と、心配そうなメールが何通か続いている。
メールがこないことに不安に包まれていた私は、安堵と、シュウ恋しさに泣きながらメールを打っていた。
<メール、今、全部届いたよ。――電話で話したいよ、シュウ。電話ならリアルタイムだよ>
それっきり、シュウからのメールはこなくなった。そう何日も、だ。

朝、改札を走り抜ける。階段へ向かってダッシュする。そしてホームへと駆け上る。その途中で、追い抜かし、「おはよう」と声をかける相手がいなくなった。きっと時間をずらしたのだろう。
ポッカリと心に穴があいたような毎日が続く。私のなにがいけなかったのだろうか? シュウにとっては、私はただのメル友で、それ以上を望んだのがいけなかったのだろうか? だけど、電話で話したいと思うのは、そんなにいけない事なの?
それとも、メールが遅延だとも知らずに、メールをくれないと責めたことに嫌気がさしたのだろうか? そのことは謝ったのに、シュウから返事が来ることはなかった。
寒い毎日が続く中、それでも暦の上では春を迎えるころ、世の中が浮き足立ってきていることに私は気付いた。バレンタインが近付いてきているのだ。
誰に上げるの? とクラスメートに訊かれ、あげる人なんていないわよ、と答えながら、私はシュウを思っていた。ほかにチョコレートを贈りたい人はいない。私はやっぱりシュウが好きなのだ。
私は菓子作りの本を買い込み、受け取ってもらえるかどうかもわからないチョコレートをシュウのためだけに作った。そして、返事がくるかどうかもわからないメールをシュウに送った。
<2月14日の朝、ホームで待ってます。遅刻は覚悟、来るまで待ってます>
シュウにとっては迷惑なメールかも知れない。でも、そのときの私にそのことを気にする余裕なんてなかったのだ。
案の定、返信がこないまま、バレンタインの朝を迎えた。
いつもより早く家を出て、駅に向かう。シュウが時間を早くしたのか、遅くしたのかわからないからだ。この時間でも、もう行ってしまったあとかもしれない。不安な心のまま、ホームに立つ。
ちょうど電車が入ってきたところで、バラバラと何人かが降り、何人かが乗り込んでいく。いつもより2本速い電車だ。
走り去る電車と、改札に向かう人々を見送っていると、携帯の着信音がなった。メールだ。シュウからのメールだ。
不安と嬉しさのあいまった複雑な心境で、メールを開く。
<ごめん、僕はナツミとはもう会えない。騙すつもりじゃなかったんだ。だけど、結果、僕はナツミに嘘をついてる・・・
(やっぱり彼女がいるの?)
心の中で私は問い掛けていた。メールはまだ続いている。
・・・・・・以前から僕はナツミを見知っていた。毎朝階段を駆け上っているよね。なんて元気のいいコなんだろうって、ずっと思っていたんだ。そのナツミから声を掛けられた時はびっくりしたよ。自分の気持ちが見透かされてるんじゃないかって思ったくらい。だけどそうじゃなかったね。ナツミが言ったのは僕への苦情だった。缶コーヒー1つで機嫌をとるつもりはなかったけれど、あの時はそれくらいしか思いつかなかったんだ。それに寒いのは確かだし、少しでも暖まればとも思ったんだ。>
<だけど、すっかり嫌われたと思っていたから、何日かあとで、「おはよう」って言われたときはすごく嬉しかった。本当に、なんて言っていいかわからないくらい嬉しかったんだ。それから毎朝、僕は駅でナツミを待つようになっていた。もちろん行動として待つんじゃなくって、心の中で、って事だ。ナツミからメアドを書いたメモを貰ったときは天にも昇る心地って言うのかな、後先考えずにメールを打っていた。毎朝ありがとう、心からそう思っていたんだ>
<それからいろいろな話をメールでするうちに、僕は、ナツミをどんどん好きになっていったんだ。ナツミのメールは僕の心を和ませてくれていた。だけど、自分のことを考えるたび、好きになっちゃいけないと思った。本当のことをちゃんと話して諦めるべきだと思っていたんだ。だけど言えなかった。本当のことを言えばナツミは僕を避けるだろう。それは僕にとって、耐えがたいことだったからだ。いつまでも、ナツミと仲よくしていたい、あの笑顔をいつまでも見ていたい、だけど、自分を隠したままのそんな状態がいつまでも続くわけがない>
メールは次々と送られてきた。長い文面を、シュウはどこで打ち込んでいるのだろう。私は返信は出さずにシュウのメールを待った。自分を隠したまま、というのは彼女がいることを隠したまま、とも取れなくもないが、もっと違うように私は感じていた。
<あの、メールが遅延した日、ナツミは『電話で話したい』といったね。そのとき、僕は来るべきときがきたと思った。
ナツミ、僕は話せない。声を持ってないんだ。電話したいといわれてどれほど困っただろう。黙っていたバチがあたったのだと思った。もう、ナツミに嫌われるしかない。それなのに、それでも僕はナツミに本当のことを言えずに、一方的にメールするのをやめ、朝の時間をずらした。申し訳ないと思っている。自分を情けないとも思っている。正直に話せばナツミを傷つけることもなかったのに、自分が傷つきたくないばっかりに、隠しとおそうとしてしまった。>
<それなのに、そんな僕に、ナツミは会いたいと言ってくれる。あからさまにナツミを避けた僕を責めることもなく、来るまで待ってると言ってくれた。今日がどんな日だか、僕だって知らないわけじゃない。真っ直ぐに僕に向かってくるナツミに、僕はなんと答えればいいんだろう? すべてを明かし、謝るしかないじゃないか。嫌われるのを、もちろん覚悟で・・・
ごめんね、ナツミ。僕はナツミの気持ちを受け取れるような立場にないんだ。今まで黙っていてすまないと、心から思っている>
たぶんこれが最後のメールだろうと、私は思った。
私はシュウにメールを打った。
<メール、読んだよ。今、どこにいるの? 会ってじかに話したい。本当にすまないと思うなら、顔見て謝ってよ>
シュウに聞きたいことがたくさんあった。声がでないのは生まれつきなの? 耳は聞えるの?普段、どうやって意思を伝えているの?
そして、そんな事よりもっと聞きたいことがある。
シュウからの返信はすぐにきた。
<改札のところ。ナツミが前を歩いてるのが見えたから・・・ そうだね、メールで済まそうなんてムシが良すぎるよね>
私はすぐに駆け出していた。いつもとは反対のルートだ。
階段を駆け下りると、改札に向かってダッシュした。心細そうに佇むシュウの姿が見える。
シュウ、聞かせて。あなた私を本当に好き? 私はあなたが好きよ。だから、好きならそう言って、私、あなたの心の声をきくから。
そして私は気付いた。
初めてあの嬉しそうな顔を見たとき、既に私はシュウの「声」を聞いていたのだ。

                                                 (2003/02/17)
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