光   (2)
こんな行為に意味があるのか?

そんな疑問が心の中に居座っている。『敏感』になっている妻がそれに気がつかないはずもない。

「なんだかいやいやしてるみたい」

吐き出された言葉に、急速に萎える自分がわかる。気の重い溜め息とともに、俺は妻の上から降

りた。夫の気まぐれに呆れているのか、そそくさと背中を向け、服を妻が身につける。

妻に興味がなくなったわけではない。ただ、妻のあの一言さえなければ・・・。

今日、排卵日なの――




妻は子供を欲しがっていた。俺も欲しくないわけじゃない。結婚してすぐに男の子が生まれた。早く

二人目が欲しい。ふたりとも子供は好きだった。

「今度は女の子がいいわ」

「産みわけなんて無理だよ」

他愛のない会話はいつか、「何がいけないのか」という深刻なものに変わっていった。

それでも最初のうちはよかった。妻はどこから仕入れてくるのか、雑多な知識を信じ込み、それを

試していた。中には、交わった直後に逆立ちするといい、なんてものがあり、それを実行する妻を

見て大笑いしたりもした。妻は真剣に拗ねて怒ったが、そんな妻を可愛いと俺は感じていた。俺は

妻を愛しく思っていたのだ。




それが2年、3年と過ぎるうち、妻の様子が変わってくる。二人きりの時間は、愛し合うためにある

のではなく、妊娠を目的としたものに変わってしまった。それでも二人目が授かるなら・・・ 俺だっ

て、協力しなかったわけじゃない。だけど子供はできなかった。――仕方がないじゃないか。

俺は妻を愛したかった。心も身体も思うがままに、もてる情熱を降り注ぎ、そして満足させて満足し

たかった。だが、ああして、こうして、それはしないで・・・ 管理された種馬にはそれができない。

子作りのための最善を尽くすことしか許されない。

種馬・・・ まさにそのときの俺の心境は種馬のものだっただろう。そして俺がそんな気持ちになっ

ていることに気がつかない妻に失望さえしていったのだ。




「なにが不満なの?」

その夜、妻が言った。話をろくに聞きもしない俺をとうとう詰り始めたのだ。今日に始まったことでは

ない。

こんな話はもうウンザリだ、居間を出ようとする俺に、妻の罵声が飛んだ。

「あなたは私に不満があるのよ、それならそう言えばいいじゃないの。一体なにが不満なのよ? 

食事がおいしくないって言うの? 私の化粧が気に入らないの? 一体なにがいけないのよ?」

「いい加減にしろ」

言ったところで妻にわかるはずもない。だって子供、欲しいでしょ? そう言われておしまいなの

だ。そう言われれば否定できない。いつだってそうだった。

取り合わずに出て行こうとする俺に、妻はさらに言い募った。それが俺を逆なでした。

「私がどれだけあなたのことを思っているか、判っているの? 毎日あなたのためにご飯を作って、

あなたのために部屋を整えて、あなたのために・・・・」

「やめろっ!」

やめろ、やめてくれ。お前に何がわかるんだ? わかろうともしないくせに。

「目に見えるものだけがすべてじゃない」

初めて怒鳴りつけた俺を、驚きの表情で妻が見詰める。

「それがわからないんじゃ、お前とはもう一緒にいられない」

妻が泣き出す声を後に俺は居間を出ていった。




仕事が休みの翌日は嫌味なほどの快晴だった。気まずい雰囲気のまま、同じ屋根の下で時間は

過ぎていく。一人息子の笑顔だけが俺の心を慰めていた。

この子を得て、初めて我が子の可愛さを俺は知った。もちろん、元から子供は好きだった。だけど、

本当の意味の可愛さを知ったのは自分の子を持ってからのことだ。

真っ直ぐに見詰める瞳は一点の迷いもなく慕ってくれた。この子には自分が必要なのだと感じたの

だ。この子のためならば、心底そう思えた。

それが遊びに行ったきり、夕方になっても戻ってこない。あたりはどんどん暗くなる。探しに行くとい

う妻を、俺が行く、と引きとめた。

「お前は知り合いのところに電話して聞いてみてくれ」

心当たりを全部あたって、それで見つからなくっても慌てるな。大丈夫、必ず帰ってくる、一人で帰

ってきたときのために、お前は落ち着いて家にいるんだ。

涙ぐんで何度も頷く妻に、なぜかドキリとした。こんなときに、と思いながら、俺は家を出て行った。




いつも行く近所の公園は、買い物帰りにつれて帰ろうと妻が寄った時にはいなかったという。俺は

思いつくまま、あちこち探し回った。

なぜこんな時、いつにもましていやな想像ばかりしてしまうのだろう。

(もし見つからなかったら・・・)

俺は妻のことを思った。きっと妻は気が狂うだろう。それを俺は支えていけるのか? 正気を取り

戻せるように、妻を気遣ってやれるのか?

(ああ、それよりも・・・)

俺自体、正気でいられるものなのか?

「タクマ、タクマ、どこにいるんだ?」

できる限りの声を張り上げて、俺は息子の名前を読んだ。だが、返事は聞こえない。

最後にあの公園に行ってみよう、それでいなかったら・・・・ 警察に頼むしかない。

街灯の少ない公園はどんよりと暗く、とうていここにはいないように思えた。それでも一縷の望みを

かけて、俺は枯れかかった声を張り上げた。

「タクマ・・・タクマ、どこにいるんだ?」

何度目に呼びかけたときだったろう。暗がりに何かが動いた。ごろんと置かれたコンクリートの筒

の中から、か細い体が這い出てくる。タクマだ。

「お父さん」

たどたどしい声が俺を呼ぶ。走り寄って思わず抱き締めていた。




帰る道すがら、俺はタクマの話を聞いた。どうやら昨日の喧嘩を見てしまったらしい。

「目に見えないものってなに?」

尋ねるタクマに俺は考え込んでしまった。

目に見えないもの―― 俺は妻に何がいいたかったのだろう?

「お父さんが言ったのは『目に見えない大切なもの』のことだったんだよ。そしてタクマはそれを持

っているね」

『思いやり』とか『愛情』と呼ばれるものは目には見えないものだけど、とても大切なものなんだと、

苦し紛れに答えた俺に、タクマはこう言った。

「お父さんは、それをお母さんは知らないって思ってるの?」

その言葉は俺の足を止めるのに充分だった。俺は自分の気持ちばかりを考えて、妻の気持ちを思

っていただろうか? 俺が妻にした女は、自分の夫に思いやりを持てないような女ではなかったは

ずだ。心の中に一筋の光が差し込んだような気がした。

「それを忘れていたのは・・・お父さんのほうかもしれないね」

角を曲がると玄関先で待つ妻の姿が見えてきた。




「よかったわ、タクマが無事で」

タクマが寝室に入ってから、妻がしみじみとそう言った。思い出すのかまた涙ぐむ。

「あの子がいなくなったら・・・・ あなたの生きがいがなくなってしまうものね」

思わず妻を見た俺に気付くことなく妻が続ける。

「あの子が生まれてからあなた、本当に幸せそうだった。あの子を見るあなたの目ったら、妬きたく

なるくらいなのよ。――だから私、思ったの。あなたをこんなに幸せにしてくれるんだったら、もっと

子供が欲しいって」

俺が見つめていることに気がつかないまま、妻は穏やかな笑みを浮かべている。その微笑みはタ

クマが俺の心に差し込んだ光を、さらに大きく、明るいものに変え、今まで見えなかったものを照ら

し始めていた。

「タクマ、もう寝たかな?」

そっと肩を抱いて耳元でそう囁くと、少しだけ頬を染めて妻が答えた。

「さぁ、どうかしら・・・ 見に行ってみる?」

俺はタクマがぐっすり眠っていることを願っていた。
                                                  (2003/04/27)
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