<4> 電車の窓から見上げたときから気になっていたけれど、やっぱり雨が降り出した。ホームに降り立ったとき、ポ ツリと落ちてきたそれはあっと言う間に土砂降りに変わった。手間を惜しんで傘を持ってこなかったことを後悔 したがあとの祭りだ。こうなったら駅に備え付けの貸し傘を利用しようと出口に急ぐが、あいにく最後の1本は 僅か3メートルばかり前を歩いていたサラリーマンがさらっていった。 (ツイてない・・・) 一人愚痴るがどうにかなるものでもない。雨は滝のように降っている。少し小降りになるのを待つか・・・ シュ ウはほかの何人かと同じように、駅の出口に立って空を睨みつけた。 時々遠くで空が光る。雷は梅雨明け間近を知らせているのか? (梅雨が明ければ・・・) すぐに夏休みが始まる。二人で海に遊びに行こうと約束した日も近付いている。 <あのね・・・> 昨日メールでナツミが言った。 <サッチが話をあわせてくれるって・・・ 海、泊りがけでも大丈夫だよ?> それにシュウはまだ返事をしていない。 海に行こうと誘ったのはシュウのほうだ。だけどそんなつもりはなかった。いつか姉のユリエにからかわれたと き、「そういうのもアリか?」と、ドギマギした。でもそれをすぐに打ち消した。ナツミがそれを望むはずはない、 そう決めてかかった。 それをナツミのほうから「どうしよう?」と投げかけられて、すぐには答えられなかった。期待が不安を伴うとい うことを身にしみて感じたのだった。 「シュウ」 呼びかけられて振り向くと、当のナツミが階段を下りてくる。近くにいる男女一人ずつの高校生はナツミの学友 なのだろう。女の子が気を利かせたのか、もう一人の男の腕をとって降りてきた階段を昇っていく。 「じゃあね、ナツミ」 「またね、サッチ」 男は不満そうだが、従わないわけにもいかないのだろう。ひょっとしたら『サッチの彼』、なのかもしれない。む っとした顔でシュウを睨みつけ、それでもサッチに腕を引かれて行ってしまった。 (よかったの?) ノートを引っ張り出してナツミに話し掛ける。 「いいの、いいの。雨宿りがてら、そこのコーヒーショップでダベろうって言ってただけだから・・・ 二人とも、こ の駅じゃないのよ―― それより、シュウに会えて嬉しい」 こぼれるような笑顔にドキリとする。昨日のメールと、そして・・・ この前の休みに行った映画館での出来事を 思い出す。 薄暗い映画館の中、悲しい恋の物語にナツミの頬を涙が伝う。どうしてそうしたのか、ナツミの手を握り締めた シュウ、スクリーンからの光に映し出されるナツミの瞳が静かに閉じられて・・・ 愛しいと思った。好き、だなんて言葉じゃ表せないと思った。このコを守りたい、そう思っていた。 (・・・ごめん、急いで帰らなきゃ。今夜親父、帰り早いんだ) 急な土砂降りは小降りになるのも早かった。 *** その日、さんざん迷った僕は、君にこうメールしたね。 <親を騙すような付き合いかたはしたくないよ> 君からの、そうだね、という返信に少しがっかりしながらも、僕は安堵していたよ。君への責任を少し先延ばし にできたような気分だったんだ。 だけど・・・ いや、だから、か? だから僕は気がついてしまったんだ。 あの映画館で、君の唇に触れたとき、君を守りたい、そう思ったことは本当なんだ。柔らかくて溶けてしまいそ うな君の唇に、僕は君が女性だということを、か弱い女性だということを強く意識した。でも、果たして僕に君を 守ることができるのだろうか? あの頃僕たちは高校生だった。生きるということの意味をまだ見出してはいなかった。 それでも何も知らない子供と言うわけでもなく、自分の将来をどう成立させるか―― どんな生活を築いていく のか ――を真剣に考えなくてはならない時期でもあった。 僕の将来に君を重ね合わせて考えれば、それは君の輝きを分けてもらった明るいものであったろう。反面、君 の将来に僕を重ねて考えたとき、僕は君の輝きを奪う存在にしかなれなかったんじゃなかろうか? それに・・・ 君と夜を過ごすことはあの頃の僕にとって、身を焦がすほど強く惹かれることではあったけれど、 その強い憧れがどこからくるものなのか、僕には見極めがつかなかったんだ。君への欲望の奥底に、愛と言う 名の種子があることに自信が持てずにいたんだ。 ナツミ、今なら僕は言える。あのころ僕は君を愛し始めていたよ。 <5> 期末試験を来週に控えれば、週末と言えどデートをしている暇なんてない。朝の通学途中で顔を合わせること さえも『早く行って図書館で勉強するから』とシュウから避けた。 あの土砂降りの日に駅で遭遇して以来、シュウの態度が冷たくなったことにナツミが気付かぬはずもなく、そ れでもナツミがメールでさえシュウを責めることをしないのは、反対にシュウをイライラさせた。 会いたくないわけじゃない、冷たくしたいわけじゃないんだ・・・ ナツミが何か言ってくれたら、そしたら『ごめん ね』と素直に謝ることもできるのに・・・ そんなのはシュウの甘えだとわかっている。なのに、シュウのためな ら、と我慢するナツミに『犠牲』と言う字がシュウには見えてしまうのだ。 (ナツミを犠牲にしなければ、僕は幸せになれないのか?) そんな疑惑がシュウの中に広がっていく。 <今日で試験、終わりでしょ? どこかで会おうか?> ナツミからのメールに <明日はゆっくりしたい> そっけないメールを返す。 <じゃあ、明後日は? 試験休みでしょう?> すぐにきたレスに愛想なく答える。 <明後日は他に約束があるんだ> 約束なんてない。なのにそう答えた。ナツミを差し置いて約束するなんて、そう怒ってくれたなら・・・ そしたら 『冗談だよ』と答えよう。そう思って待っているのに今度はなかなかメールがこない。 嘘なんか言うんじゃなかった、後悔し始めたころ、やっとメールがきた。 <それじゃ、その次は?> ――ナツミが悪いわけじゃない、そんなことはシュウにもわかっていた。だけど自分で自分が止められなかっ た。 <明後日もその次も、その次も! ずっと忙しい> *** 次のメールが君から来るまで、ずい分長い時間待ったように覚えているよ。実際はそれほどの時間は過ぎて いなかったのかもしれないけどね。 僕は他に何をするでもなく、ただケータイを見詰めながら君からのメールを待っていた。バッテリーの表示が残 り僅かを知らせていたけど、充電する気分にはならなかった。どこかでこのまま終わりなら、それでもいいと投 げやりになっていたんだ。 <どうして?> 君からのメールはいたってシンプルだった。 どうして?―― それは僕の心にもある疑問だった。 どうして?・・・ なぜこんなにナツミが好きなのに、僕は素直になれないんだろう? 会いたがっているのは僕 も同じなのに、どうして会えないなんて言ってしまったんだろう? 好きだよ、ナツミ。好きなんだよ―― あの時、本当は会いたくて仕方ないんだ、と、君が好きだよ、と言えば違った道も開けただろう。だけど、僕は こう返信した。 <ナツミは僕といて楽しいの?> 楽しいよ、そう君は答えてくれた。 <だってシュウのことが好きだもん> そんな君に僕はこう言ったんだ。 <僕はろくに話もできない、好きだよ、って囁くことすらできない。いつかナツミもそれに不満を持つようにな る> <そんなことない。シュウが話せないこと、知ってて付き合ってるんだよ? 何で今さらそんなこと言うの?> もっともな君の抗議に返信を躊躇っていると、君からこんな追伸がきたね。 <話せないことをシュウに気にさせないように、私、努力するから・・・> ナツミ、僕たちの恋は努力しなくては成立しないものだった。きっと君は、僕がハンデを持っていると知ったとき からそれを覚悟していたのだろう。なのに肝心の僕は初めての思いに有頂天になり、大切なその事を忘れて いたんだ。そして君の覚悟を重荷に感じてしまっていた。 <僕は・・・・ナツミに努力させないとダメなんだね> 僕は君にこう返信した。 <それって僕にとっては屈辱だ> 若さゆえの青いプライドと、今になれば僕にもわかる。君の覚悟を同情と受け止めてしまった僕、君をどれほど 傷つけただろう。だけど君はそんな僕の気持ちさえ汲み取っていたのだろうね。 しばらくの時間を置いて、君からきたメールには <もう、会えないの?> とだけあった。なにが僕の自尊心を刺激したのか、知ってのメールだ。 僕はそのメールをすぐには返すことができなかった―― |
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