<2> ただでさえ乗車客の少ない路線である。それでなくとも午後の中途半端な時間帯ともなれば、席はまばらに埋 まるだけだ。 一通り車内を見渡したものの、その客の殆どが自分と同じ高校生と見て取ると、シュウは座ることをせず、乗車 口に立って外を眺めることにした。 追い立てられるように過ぎていく景色は本格的になってきた梅雨の曇天に縁取られ、いささか精彩に欠ける。 群れて咲く黄色い花だけが鮮やかな彩りを添えていた。 「ねぇねぇ、あのコでしょう?」 囁き交わす声につい振り向くと、セーラー服の一団がキャアと小さい悲鳴をあげて、中の一人を小突いた。小突 かれたセーラー服がチラリとシュウを見る。 慌てて視線をはずすと、電車はゆっくりと速度を落としプラットホームに滑り込むところだ。降りる予定の駅ではな かったが、ドアが閉まる寸前、構わずシュウはそこで降りた。 この後の展開は何度か経験している。おずおずと近寄ってくる女の子たち、何も答えられず困惑する自分、そし てやっとの思いで話せないことを伝えれば、サッと女の子たちの顔色が変わる。そして泣き出した一人を周囲が 慰めてこう言う。運が悪かったのよ・・・ そして二度と近付くものかという雰囲気を漂わせながら彼女たちはシュウをそこに残したまま消える。そう、悪運 に取り付かれないように、だ。 走り去る電車を見送りながら、シュウはユリエのバイト先がこの近くだということを思い出していた―― (お袋、相変わらず?) ノートに走り書きする。 「変わりよう、ないよ」 ユリエが答える。 タイミングよく、ユリエが上がる時間に会えた。ここじゃあなんだから・・・誘われるままに、近くの喫茶店に入る。 「家になんか閉じこもってないで、パートにでも出てみたらいいのにね。そりゃあパパがよくしてくれるから、生活 に困るわけじゃないけど―― でも、パパは大丈夫なの?」 (金のこと? 僕には何も言わないな) 「進学のこととかは?」 (合格したら医学部だろうが行かせてやる、だってさ) 「なによ、シュウ」 ユリエが軽く目を見開いてシュウを見る。 「医学部、目差してるの?」 (まさか!) クスクスと笑い合ったあと、ふとユリエが真顔に返る。 「だけどシュウの場合、大学を卒業したあとどうするか、そっちのほうが重要だね・・・」 それには答えず氷が溶け始めたコーヒーを啜る。ガムシロップもミルクも入れていない液体は中途半端に苦い 味がした。 「たまにはうちにも遊びにおいでよ」 別れ間際のユリエの言葉に、シュウは苦笑いしながら首を振った。 「ママもね・・・」 そんなシュウにユリエは慈しむような目を向ける。 「本当はシュウのこと、愛しているのよ」 まさか―― シュウの顔から表情が消えるのを悲しく見詰めるユリエだった。 ― INTERVAL ― 妹を死なせたのは僕だ。 その日、帰りの遅い父を待ちきれずに、僕たちは床に就いた。父の帰りが遅いのはいつものことで、先に眠るこ とに僕たち一家はもはや何も感じなくなっていた。だが、その日は何かが違っていた。 4つ上の姉は修学旅行で留守にしていた。いつもいるはずの姉がいないことが僅かに僕を不安にさせていたの か、ふと感じた階下の気配に、僕は眠い目を擦りながら階段を下りていった。 明かりが点いているはずのないリビングから光が漏れている。中から聞いたことのない声が聞こえた。 「静かにしろ、声を立てるな」 (お母さん・・・?) 不安と不審の合い混ざった心持ちでドアを押し開ける。 部屋の向こうで青褪めた母が「はっ」と僕に視線を投げる。僕はそれまで母が見ていたほうを見た。 そこにはガタガタと身体を震わせ、母よりももっと青褪めた男が立っていた。そしてその男に抱きかかえられた妹 は、大きく見開いた目に涙をいっぱい溜めながら歯を食いしばっていた。泣き出したいのを我慢していたのだろ う。男の、もう片方の手に握られた包丁は妹の咽喉元に当てられている。 「シュウ・・・シュウ、こっちにいらっしゃい、そっと・・・そっと・・・」 母が小さな声でそう言った。 その声は確かに僕の耳に届いていたが、意味を持ってはいなかった。僕の呼吸はだんだんと大きく、そして忙し なくなっていき、とうとうそれに耐えられなくなった時、僕は叫び声を上げていた。 「うわぁぁあああっ!」 そこからのシーンは、動きをなくして僕の脳裏に残っている。 僕の叫び声に驚いた男がやはり叫びをあげながら、持っていた包丁を妹の小さな身体に何度も突き刺した。草 臥れた布切れの人形のように妹はグッタリと男の腕の中にいた。飛び散った鮮血は赤ではなく黒い塊のようだ った。 母は狂ったように男突き飛ばし、その腕から妹を取り返した。母に突き飛ばされた男が呆然と立ち尽くす。そして 轟く母の悲鳴。 玄関先に感じた人の気配は中の異変を感じ取って、ガチャガチャと鍵をあけている。あぁ、父さんが帰ってきたん だ、夢の中の出来事のようにそんなことを考えている僕は、いつの間にか叫ぶのをやめ、男と同じようにそこに 立ち尽くしていた。 リビングに駆け込んだ父がすぐさま電話をかける。男はヘナヘナと、くずおれていった。 白い壁の小さな部屋で、白衣を着た人が妹の死を告げる。母の泣き声が一層大きく聞こえた。 それが急にやんだかと思うと、母は僕を見た。 「お前が落ち着いていてくれさえすれば・・・ お前が声を出したばっかりに!」 僕の肩を揺さぶる母の頬に父の平手が飛んだ。 読経は雨の中を静かに漂う。僕はずっと椅子に腰掛けていた。葬儀のときも、そして小さな妹が煙となって天に 昇っていくときも、ずっと同じ椅子に腰を掛け、僕はそれを見ていた。実際は歩いて場所を移動したのだろうが、 そんな記憶は僕にはない。黒い高い背もたれの付いた木の椅子・・・ そこに僕はずっと座っていた。 いや、出棺を、雨の中で傘もささずに見送ったことだけは覚えている。その時、繋いでくれた姉の手の感触も忘 れていない。雨に濡れていたからなのか、それとももっと違う理由からか、その手は氷のように冷たかった。 初七日が終わるころ、僕はあることに気がついた。罰だと思った。妹を死なせた罰だと僕は思った。僕は・・・ 僕 は声が出なくなっていた―― そんなことがあってから半年、両親は離婚した。僕は父のもとに残り、そして母は姉と一緒に出て行った。 「お母さんを一人にはできないから・・・」 僕を抱き締めて姉が言った。 「だけど、お姉ちゃんはシュウの味方だからね・・・忘れないでね」 母はとうとう僕には声をかけなかった。玄関先で見送る僕に視線を投げることもしなかった。それはあの日から ずっと・・・ 両親が離婚に踏み切った一番の理由はそこにあるのかもしれない。 僕は妹を死なせてしまった。だから僕は母に嫌われ、僕たち家族はバラバラに離れてしまった。 すべて不幸の原因は僕にあるのだ。 <3> 制服の一団が笑いさざめきながら移動している。片側2車線の道路の向こうだ。その中にナツミの姿を見つけて 心が躍る。こちらに背を向けているナツミがシュウに気が付くことはなさそうだ。次の信号、それに間にあえば追 いつくかもしれない、一度は早まったシュウの足が急に緩やかになる。 しきりにナツミに話し掛けていた男がナツミの肩に手を置いた。それをナツミがそっけなく振り払う。周囲が冷や かしたのだろう、一瞬シュウの耳に届くほど笑い声が大きくなった。梅雨の合間に差し込む日の光が、白い夏服 に輝いている。――シュウはナツミを追うこともできずにその場に佇んでしまった。 ナツミに追いついたところで、どうしようと言うのだろう。果たしてナツミの友人たちはシュウが声を持っていない ことを知っているのだろうか? 気まずい空気が流れることは目に見えている。 ナツミは気にしないと言った。だけどそんなナツミを周囲はどう思うだろう。ひょっとしたらやめたほうがいいとナツ ミに助言する人物も出てくるかもしれない。 ナツミ達を避けるように来た道をとって返すと、シュウを呼ぶ声が微かに聞こえた。ナツミの声だ。信号待ちか何 かのときに、偶然こちらを見たのだろう。シュウは気がつかないふりをしてそのまま立ち去った。 *** <今日、M町の交差点で見かけたよ。声かけたけど聞こえなかったみたいだね> その日のメールは正直言って辛かった。 <そう? 気がつかなかったよ・・・考え事してたのかな。ごめんね> 意識して君に嘘をつくのは初めてだった。隠すために言わないのと、事実と違うことを言うのじゃ重さが違う。そ う、僕にとって楽しいはずの君とのメール、なのにその日は気が重かった。 <考え事? なんじゃ、なんじゃ、悩みかな? よかったらこのナツミさんに言ってみなされ。案外名アドバイザ ーかもよ?> <う〜〜ん・・・ 名じゃなくって迷かもしれん、遠慮しとく> 君に言えるはずなどなかった。僕の悩みが、コンプレックスからきた僻みだってことは僕自身が1番知っていた。 そんな惨めな自分をどうして君に見せられる? そう、コンプレックス・・・ 君の肩に手をおいた奴は君に何か言っていた。それに君は何か答えていた。そこに交 わされた言葉が、僕がヤキモチを妬くようなことじゃないとしても、少なくとも僕がそいつに代われる事はない。 ねぇ、ナツミ、君は本当に憧れなかったのかい? 耳元でささやかれる甘い愛の言葉、決して僕にはあげること のできないそんなトキメキを、君は少しも望まなかったのかい? そして僕は―― 僕は君が羨ましかった。いつでも明るい光に囲まれているような君、そんな君がなぜ僕の恋 人なんだろう? 僕には・・・ 僕には恋を語ることもできないのに。 夏服の君は僕には眩し過ぎたんだよ。 |
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